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フジテレビ「プレミアステージ」で放映していた。
最近発売されたトリロジーDVD-BOXの吹き替えキャストとは違う吹き替えだった。
2年ほど前に日テレ系で放映された時と同じキャストだと思うのだが、この比較的若手を起用した最近の吹き替え直しのバージョンはどうも馴染めない。
ダース・ベイダーはやはり、渋くて低いトーンの声の方に演っていただきたい…。
昔のように、オリジナルにはない個性まで加わってしまうような吹替えや、声を聞いただけですぐに誰かわかってしまうような吹替えには、賛否両論あるかと思うが、それにしても…。
オープニングで若山弦蔵さんのナレーションを入れているのは、映画館のスクリーンではなく家庭のテレビで観ることを想定したときにむしろ良いといえるが…。
とはいえ、一番最初に放映されたときの吹き替えから比べれば天と地の差か…。


最初に「A New Hope」がテレビ放映されたのは「ジェダイの復讐」の劇場公開から間もない頃だったと思う。
(もし違っていたらごめんなさい。)
超人気作品の初テレビ放映ということで、ものすごいお祭り騒ぎだったことを記憶している。
今でこそ珍しくないかもしれないが、映画の放映に先駆けて、同じ日の夕方に特番の放映があった。
その特番を観ていた私もよっぽど物好きということになる(苦笑)。
当時はビデオデッキの普及率も半分以下、レンタルで借りてきて見る、なんてことはできなかっただけに、テレビ放映は映画の公開とおなじくらい祭りだった。


お祭り騒ぎのはいいのだが、この初放映の大失敗は吹替えだった。
主役の3人ルーク、レイア、ハン・ソロに、いわゆる声優さんではない人を起用した。

もちろん、声優 なんていう区分は比較的新しいものなので、声優さんでなければ吹替えができない、という考えは間違いだ。
が、正直言って、この吹替え版はひどかった…というか、いい語り草になっていると言っていい。
いわゆるアイドルを吹替えに起用して語り草になってしまっている映画は、この後も絶えないが…。


ちなみに、この時の C-3PO は野沢那智さん。
吹替えにはいろいろなバージョンがあるが、C-3PO の吹替えは野沢那智さん以外に考えられない。
…と思ったら、富山敬さんが C-3PO を演じていらっしゃるバージョンもあるようだ。
ちょっと記憶にないのだが、これはこれでなかなか良さそう…。


吹き替えに文句をいうくらいならば、字幕で観ればいいだけのこと。
肝心の内容はといえば、元々続編の映画の作成は未定だったというだけに、単作品としてのまとまりはピカ一。
ストーリー展開が早いので、気を抜くと、どんどん先に進んでしまうが、次から次へと見せ場が絶えなくて飽きさせない。


主役というと、ルーク、レイア、ハン・ソロということになるのだろうが、本当の主役は C-3PO と R2-D2 と言えるかもしれない。
ストーリーは常にこの2体のロボットと共に進行していく。
このロボットが実に人間的で面白い。もちろん、中に人間が入って演じている。
やはり、人間が演じてこそなのではないかと思う。


この初代の作品にも、もちろんモンスター類は出てくるが、製作された時代的な背景も影響してか(技術的な問題)その数は、最小限に押えられていると言える。
それだけに、人間ドラマ的な面が見えている。
単作品としてのまとまりの良さはもちろんのこと、技術に頼りすぎない人間ドラマの部分がしっかりしていたからこそ、この初めての作品が受けたように思うのだがどうだろうか。
特別編ではジャパ・ザ・ハットとハン・ソロの会話のシーンが追加されている。
「ジェダイの復讐」では、自分の宮殿で家来を沢山従えているジャバが、自ら宇宙の港町に乗り込んでハン・ソロに借金を返すよう催促しているのは、なんとなく違和感を感じる。
それ以上に、このシーンは無かった方が、人間ドラマとしてのスターウォーズを際だたせていたように思う。
(あった方が後にジャバに捕らえられるストーリーとしては理解しやすいが)


DVDの特典映像のインタビューにもあるが、スター・ウォーズはおとぎ話の基本を押えている。
お姫様がいて、騎士がいて、敵対する悪の親玉がいて…と。
悪の親玉の要塞デス・スターはお城というわけ。
「フォース(理力)」と言うと何やらカッコ良く最先端的な響きを感じなくもないが、平たく言えば「魔法」の一種。
モデルは中世ヨーロッパといったところ。
そう考えると、黒人がキャスティングされていないのは、当然とも言えるが、これについては非難を浴びたそうで「帝国の逆襲」からは黒人がキャスティングされている。


古典的なイメージと、宇宙を舞台にした最先端のイメージの融合がスターウォーズの魅力と言えるのかもしれない。
最後の場面の勲章授与は、極端なことを言えば、宇宙戦争映画としては無くてもいいかもしれない。
デス・スターが崩壊して反乱軍が喜ぶシーンで終っても構わないのだ。
が、お姫様と騎士が出てくる映画としてみると必要なシーンなのだ。

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金曜ロードショーで放映していたのを観た。
吹き替えキャストが現在発売されているDVDとは違っていた。








アン王女オードリー・ヘプバーンすずきまゆみ
ジョー・ブラドリーグレゴリー・ペック津嘉山正種
アーヴィング・ラドヴィッチエディ・アルバート内田直哉
ヘネシー支局長ハートリー・パワー富田耕生
ヴィアバーグ伯爵婦人マーガレット・ローリングス谷 育子
マリオ・ディラーニ(美容師)清水明彦

これはこれで悪くなかった。
…が、オードリー・ヘプバーンの吹き替えは池田昌子さんで聞きたい、と思ってしまう。
かといって、現在発売されているDVDの池田昌子さんの吹き替えがいいのかというと…。
やはり近年吹き替え直したものは少々苦しいものがあると言わざるを得ない。
さらに言えば、美容師役の吹き替えは広川太一郎さんでないと!(笑)


古い吹き替えで馴染んでしまった人も決して少なくないと思うのだが、以前の吹き替え音声は残っていないのだろうか。
現在の技術があれば、現存するテープが多少痛んでいたとしてもなんとかなるものだと思うのだが…。
放映でカットされた場面の吹き替えが無い、などとなると難しいのか…。


今回観て思ったのが、意外に台詞が少ない、ということ。
暴走してしまった後の警察の場面では、サイレント映画風の雰囲気が逆に効果的だ。
オードリー・ヘプバーンの素の魅力を生かすには、下手に台詞をはさむより、映像に語らせる方がずっといい。
そして、50年前のローマの街並がさらに雰囲気を添える。


今ローマに行っても「ローマの休日」のロケ地を訪ねる観光客であふれかえっている。
スペイン階段なんてアイスを食べる人だらけだ。
映画の中のオードリーも50年前のローマの街並も、それはフィルムに収められた映画の中だけにある。
だが、それだけでもこの映画は充分だ。
細かいことを言えば、ストーリーはお伽噺のようでリアリティがない。
王女の脱走なんて、テレビが普及した今では考えられないストーリーだ。
また、カットのつなぎが粗い部分が気になると言えば気になる。
50年前の映画なんてこんなものなのだろう。
それでも今では再現することのできないフィルムの中だけの世界、これがその映画の魅力だと思う。

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スウィングガールズを観てきた。
なかなかの盛況ぶり。
面白いといえば確かに面白い。
面白く作っているから。
そのためにドラマ性を犠牲にしているのかもしれない。
だが、これはドラマ性のあるストーリーを鑑賞するというより、ギャグを楽しむものだろう。


そして、やはり最後のステージでの演奏シーンは楽しい。
映画中にもあるように、ジャズは蘊蓄親父がブランデーグラスを傾けながら聴くもの、そんなイメージがあるのは確かだ。
だからといってそれが古くさいとか、ジャズの音楽の良さが損なわれるわけではない。
が、こんな底抜けに明るく楽しくスウィングできるのは、演奏しているのが女子高生という設定だからだと思う。
演奏に長けたプロのジャズ・ミュージシャンには、逆にこんなに明るいパワーは出せないのではないだろうか。
良い演奏、素晴らしい演奏を聴きたいのならば、プロの演奏を聴けばいい。
それはそれで楽しめるだろう。
が、ここには、そこにはない良さがある。
だから、こんなに明るく聴けるのだと思う。


ただし、宣伝(というか緻密なプロモーション)に助けられていると思う。
演奏経験がほとんどない女の子達が吹き替えなしで挑戦している、といった事実を知らなければ、どうせ吹き替えているんだろう、とか、経験者を使っただけだろう、と思われても仕方がない。
(ホーンやブラス楽器というのはそれくらい音を出すのが難しい。)
ドラマはそこに至るメイキングにあるのだ。
メイキング映像(フジテレビ721+739で放映している)の方がはるかにドラマ性がある。


そして、映画なんだから、もう少し映画的なカメラワークを狙ってもいいように思ったのだが。


しかし、イノシシのシーンは笑えた。
あのチープさ加減がかえって味になっているとは!


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誰も知らないは、明を演じた男の子、柳楽優弥君がカンヌの主演男優賞をとったことで話題の映画。
また、ショッキングな実話がベースになっていることも、話題づくりに一役買っているように思う。
まぁ、そんな話題につられて観てしまった訳だが…。


ドキュメンタリー風の映像は、つい、ここはどこだろう、なんて思いながら観てしまう。
そんな情景にまどわされてしまうだけ、実は、損しているかもしれない。
肝心の子供達から気がそれているからだ。
子供達の素を生かしつつ、物語を作り上げていったのは上手い。
キャスティングに成功した、これなくしてはこの映画はあり得ない。
主演男優賞をとったとはいえ、それは柳楽優弥君の演技力というよりは、天が彼に与えた「gift」によるところが大きいと思う。


実話だと思ってみると大きな間違いだ。
実話はあくまでもヒントになっているだけだと思ったほうがいい。
兄弟姉妹の年齢構成も違う。
あの微妙なバランスはあの設定でこそ生きてくる。
映画にするのに都合の良いよう変えたわけだ。
その辺り、間違った認識が変に広まらないことを願う。


映画は事件のショッキング性を伝えるものではないと思う。
見ても見ぬふりの都会。
知っていても知らないふりの都会。
そんな都会の一角で起こるべくして起こったように思える。

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「風と共に去りぬ」のDVD-BOXが発売になる。
廉価なDVD盤はさんざん出回っているが、今度はおまけ満載だ。
「風と共に去りぬ」はLD時代にBOXを買っている。
その頃は、こんなに早く次世代メディア(つまりDVD)が普及するとは思っていなかった。
今のDVDの平均的な値段から考えると、LDは廉価版であっても高く感じるが、当時は買うことに迷いはなかった。
今のDVDの普及具合を予見することができれば…、そんなことを言っても今さらである。
高密度のDVDだけあって、LD-BOX以上におまけがついている。
やはりこれは買わなければなるまい…。


「風と共に去りぬ」は史上最高の興行成績をあげた映画だ。
この最高、というのは、物価を加味したランキングでのことだ。
物価を加味する、というのは不安定な要素ではあるが、それを言うなら、ワールドワイドな興行収入を計算する時、為替の変動はどう計算しているのだろう、という疑問もある。
つまりランキングなんて目安に過ぎない。


さらに言うと「風と共に去りぬ」は1939年の作品。
テレビが普及する前だ。
今のように待てばテレビで放映される、なんていう期待はない。
レンタルもない。
セル製品もない。
映画館が集客するのは当たり前とも言える。
さらにリバイバル上映での興収も加算されるとなると、数字なんて、ただそれだけのものである。


だからといって「風と共に去りぬ」という作品にケチがつくわけではない。
半世紀が過ぎた今観ても、決して最近の作品に見劣りすることのない映画だと思う。
人間ドラマが基調だということもあるかもしれないが、映像でもひけをとるとは言えない。
メイキングを観て知ったのだが、セットとばかり思っていた背景が絵だったとか、びっくりすることは多い。
映像的に一番凄いと思ったシーンは、スカーレットが医者を探しにアトランタの駅に行った場面だ。
呆然とするスカーレット(ヴィヴィアン・リー)を中心にカメラがひいていく。
彼女が立っているのは負傷兵の列の真ん中だ。
見渡す限りそこは一面横たわった負傷兵だらけ。
カメラはスカーレットが判別つかなくなるくらい小さくなるまでゆっくりとひいていく。
映画館のスクリーンで観るとかなりの迫力だ。


スカーレットの型破りな生き方は、現代に通じるものがあると思う。
決して時代の一部分にはなっていない。
それ故色あせないのだと思う。


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日本映画専門チャンネルで今月放映中。
随分久しぶりに観た。


ビートルズの「レット・イット・ビー」「ゲット・バック」を使用したことで話題になった作品だ。
カバーではない、オリジナルだ。
これが意外にマッチするというか、エンディングで「レット・イット・ビー」が流れるのはとても印象的だった。
が、これがなんと差し替えられているではないか。
著作権の問題で、DVD化に際しカバー曲に差
映画の印象がガラリと変わってしまった。
せめてもっとオリジナルに忠実なコピーを使用することはできなかったのか。


冒頭、ジョン・レノンが撃たれたニュースから、登場人物の一人、三津木五郎(古雅谷雅人)が1960年代を懐古するところから物語は始まる。
今観ると、さすがにこれは余計な気がする。
三津木五郎の回想で物語は始まるが、次第に物語のすみに追いやられ、結局、三津木五郎の実母の謎もあいまいなまま終ってしまう。
どうせあちこち手を入れて原作を変えているのだから、思い切って三津木五郎の視点で最後まで語る、くらいしても良かったのではないか。(ちょっと無理か?)


この映画でなんといっても存在感があるのが、岩下志麻。
映画の細部は忘れてしまっても巴御寮人の(良い意味で)怪演ぶりだけは印象に残るだろう。


そんなわけで、金田一映画でありながら、金田一演じる鹿賀丈志の印象がいまいちな気がする。
もったいない。


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日本テレビ系でアニメブラック・ジャックのシリーズ放映が始まった。
手塚治虫の個性を生かす、ということらしいが、やはり、医学の進歩を加味しなくてはならないといった面もあり原作にどれだけに忠実にできるか難しいところだ。
あまりに忠実にしてしまったら、時代遅れの遺物みたいになりかねないし、かといって、映画「メトロポリス」みたいに原作から離れてしまうと違和感がある。


手塚治虫の描く絵は2次元的だ。
アトムの角は立体のぬいぐるみにするには、どうにもこうにもおさまりが悪い。
2次元だからこそのあのキャラ・デザインが成り立っている、と言ってもいい。
映画「メトロポリス」では、3次元の背景の中に2次元の平面的なキャラが動いているのが、なんともいえない雰囲気だった。
今回の「ブラック・ジャック」でも、CGを使ったであろう3次元的な絵の崖っぷちの家に違和感を感じた。
CGを駆使した3次元映像も、ONE PIECEのような最近の作品では面白い、と感じ、手塚治虫作品のようなレトロなものでは違和感感じる、というのは、観るほうの勝手な言い分かもしれない。


そんな細かい話はあるが、概ね、好印象だった。
(しかし最初のレベルで最後まで作ってくれるとは限らないのがシリーズ物の宿命…。)

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