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「iPodなどを私的録音補償金制度の対象に」とJASRACなどの7団体が声明を発表したそうだ。
けっ!


自分で買ったCD(もちろん正規盤)をiTunes→iPodに取り込んで何が悪い!!と声を大にして言いたい。
iTunesやiPodばかりで聴くときに、せっかくの音を圧縮音源でばかり聴いて申し訳ない、と考えることはあっても、それで聴く回数が増えるのならばむしろ音楽も、そして音楽を世に送り出したミュージシャンも喜んでくれるだろう、と思っている。
iPodを使うようになってから飛躍的というか爆裂的にというか、とにかく以前よりたくさんCDを買うようになった。
「権利者が失っている利益」って何よ。
CDを買うときにきちんと対価は支払っている。
権利者は失うどころかむしろその逆だ。
iTunesに取り込んだからと言って元のCDを処分したりはしていない。
ほとんど読む暇のないライナーノーツなど、いつか読むかな…と思ってとってある。
実際に聴く時に、買ってきたCDの媒体で聴くか、iTunesやiPodで聴くかその違いだけでなぜ余分に払わなくてはいけない?
なぜこういうしっぺ返しを食らうんだろう...。
ほんと理不尽。
あったまにクル。
馬鹿げている。


そもそも矛盾がある、というのならば「私的録音補償金制度」というのがおかしいのだ。

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著作権の例外規定「知っている教員いる」1割だけというニュース。
著作権情報センターなどがアンケート調査をしたようだが、調査するまでもなく、そんなものだろう、という想像に難くない結果だ。
今まではそれでも良かったのかもしれない。
著作権について無知な個人がワールドワイドに向けて情報(それは著作権を侵害しているかもしれない)を発信することなどなかったのだから。
個人が他人の著作物を個人的に利用する分には、著作権を侵害することはない。
ところがインターネットの登場によって状況は大きく変わった。


著作権法では、学芸会で他人の作品を上演したり、児童が発表用に小説をコピーして配ったりするなど、一定の条件を満たせば、著作権者の了解なしに著作物を利用することを認めている。
ようするに学校教育の場においては、他人の著作物を自由に利用することができる。
宿題のレポートで他人の著作物を丸写ししてもOKなのだ。
それは著作権法の例外規定によるものだが、そんなことを意識している生徒はいないだろう。
(せめて先生は知っているべきだと思うが)


学校教育において許されている行為も、その外に出てしまえば例外規定は適用されない。
しかし、そんな差異を理解している人は少ない。
著作権違反が氾濫するのは当然の結果だ。
商用でなければOKと思っている人も少なくないと思う。
しかし、著作権法では商用かどうかは関係ない。


いずれにせよ、生徒を教える前にまず大人から教えないと、ね。
学習指導要領を改めるより先に研修体制を充実させないのは、本末転倒というか…。
これに限った話ではないが。

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「キャンディ・キャンディ」の著作権をめぐる裁判の話は比較的記憶に新しいが(最高裁判決は出ているが、個々のグッズなどに関する業者裁判がまだ進行中)、25日、「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を巡る訴訟の判決が東京地裁であった。 いずれも、漫画家の方が全面的に敗訴している。 だから、「絵(漫画)」って著作物として弱いのね、なんていうことを言うつもりはない。 それぞれの作品が成り立って行く過程は全く異なっている。

そもそも、著作権を巡り、争いが起きた背景には、「キャラクタービジネス」が密接に絡んでいるように思われる。 当たれば、キャラグッズ商売というのは大きい。不況知らずだ。 私のようについついキャラグッズには踊らされやすい(苦笑)人々あってこそだが、ロゴやキャラ(「ヤマト」だったらメカかもしれない) を付けるだけでいい。 簡単だ。 うまくいけば、版権者は左ウチワだ。

しかし、日本の法律・判例では、「キャラクター」そのものは「著作物」としては認められていない。

「キャラクター」そのものに何らかの権利を主張するとすれば、それはキャラクター・デザインに対する「意匠権」になるだろう。 ついでに言うと、書物のタイトルやキャラクターの名称にも著作権は発生しない。 それを保護するのは商標権だ。 言葉(単語)そのものに著作権があるように勘違いされている人が、決して少なくないように思われるのだが、どうだろう?
…のだが、「キャラクター」の背景には、物語や漫画などの「ストーリー」があったり、基盤となる「イラストレーション」が存在する。 その物語なり漫画なり、イラストは著作物なので、「キャラクター」の無断使用は著作権侵害になる、と考えられる。

著作権、意匠権、商標権…とキャラグッズにまつわる版権はいろいろある。

「〜ヤマト」の裁判も「キャンディ〜」の裁判も、著作権を巡る裁判だった。 デザインやアイデアというのは、著作権として保護されない。 個々のケースは、簡単に調べられるだけでも、まったく違うのだが、いずれにせよ、キャラ・デザが著作権と認められないのが枷となって、 漫画家に著作権が認められなかったように思える (もちろん、それだけではなく、理由は複合的なはずだが)。

もう一つ思ったことは、なぜ著作者をどちらか一人にしなければいけないのだろう…ということ。 特に「〜ヤマト」の場合は、当初からTVシリーズアニメとして企画された ということもあり、製作には様々な人が関わっている。 著作権者を一人にしてしまうことは、現状と合っていないのではないだろうか。 詳しくは知らないので、あまり深入りしたことは言えないが、このような著作権を巡る報道を聞く度に、法律が現状に追い付いていないと感じる。

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著作権法というのはホントに奥が深い。 調べても調べてもわからないことが出て来る。

著作権 よーするに 著作物 および その 著作者 を守るための法律なので、基本は、「著作物」あるいは「著作者」に対する敬意を持って、そこから考えて行動すればいいこと。 自分が著作者の立場だったら、と考えれば一番良いのだが、難しいのは、著作者と自分は違う人間だということ。 相手に良かれと思ってしたことが必ずしもそうならない、というのは人間社会の中で少なからず起きることである。

法律というのは歴史的経緯をひきずってる。 古くは、本などの印刷物を考えていれば良かったが、著作物の発表形態が技術の発展とともにバリエーションが出てくると、それに付随して様々な問題が出てきて、その度に対処療法的に修正(改訂)されてきた。 公的図書館におけるコピーが認められているのなんて、時代を感じますなぁ…。 いつも法律は後からついてくる形になるので、なし崩し的に認められているような部分がなきにしもあらず。

しかし、この法律がわかりにくい。 いったいどっちなんだかはっきりしてくれ〜、もっとわかりやすい言葉で書いてくれ〜、と叫びたくなる。

まず「著作物」とは何ぞや?から始まるのだが、著作物でなければ、著作権法で守られる物ではなくなってしまう。 この「著作物」というのを非常に拡大解釈していると見受けられる場合が、決して少なくない。 例えば、日本における定義だが、「キャラクター」は著作物でない。 が、「キャラクターを描いた絵(イラスト)」は著作物になり得る。 日本での場合、「キャラクター」に関して何らかの権利を主張するならば、「商標権」ということになる。 実際、ディズニーは商標権登録していて、非常に権利にうるさい。 かつて、雑誌の取材を受け、部屋の中を撮影されたことがあるのだが、部屋においてあるぬいぐるみがディズニーかどうか、ディズニーだったら、写らないようにと非常に気にしていたのを記憶している。 創作性がないと著作物にはならないのだ。

著作物の「引用」は、許諾なしでも認められている行為だ。 が、「転載」は不可。 では、「引用」と「転載」の境目は? よく、歌詞の場合、1行だったらOK、なんて記述を目にすることがあるが、これはとってもナンセンス。 それで「引用」と「転載」の区別ができればそんな簡単なことはないのだが、そもそも1行っていったい何、どこからどこまで? レイアウト次第で1行におさまる範囲なんて変わってしまう。

どこからどこまでがパクリでどこからどこまでがパクリでないか。 これも非常に難しい。 でもすべて原著作者に許諾をとっているなんて、とうてい思えない。 ちなみに、発想やヒント程度にいただく分には許諾は必要ない、と法的には許されている。 その程度ということなんだろう。 そもそもパクリというのは、著作権法の言葉で言えばなんだろう?

二次著作物、パロディ、複製、模写、翻案、翻訳…、区別をつけることができるだろうか? 和声英語のパロディと、英語のパロディでは意味合いがかなり異なるようだ。 いずれにしても許諾が必要であって、多くのファンアートやファンフィクションは上記のうちのいずれかになると思う。

最近の裁判の事例だが、「チーズはどこへ消えた?」のパロディ「バターはどこへ溶けた?」は地裁レベルで著作権侵害ということになったらしい。 アメリカの例だが、「風と共に去りぬ」のパロディ本(黒人サイドから語ったものらしい)はパロディとして認められた。 パロディとは違うが、キャンディ・キャンディ裁判も判決がおりた。 これは、キャラクターの権利の扱いということで興味深い。

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ファンサイトなるものをオープンしていると、ぶちあたるのが、著作権の壁だ。 著作権法というのは、著作者の権利や利益を守るためにあるのだが、法律というのは融通がきかないものである。 ところが、何が著作者にとって利益になるか、というのは、ケースバイケースで、法律で縛ることは、実は難しい問題であるように思う。

著作権は英語で言うと、copyright つまり直訳すればコピーする権利である。 ようするに、著作物をコピーしてそれを売れば著作者の利益になるので、コピーする権利を法的に保護しようというのが、西洋的発想である。

でも、売って利益を得るだけが著作者の権利とは限らない。 只でばらまいても、只で配ることにより多くの人の目にふれ、認められることにつながれば(よーするに人気が出れば)、それも著作者にとってメリットがあると言える。

著作権というのは、著作者自身が管理しているとは限らなくて、音楽だったら、JASRAC に委託している場合がほとんどだし、マンガも含め本ならば出版者が預かっているケースが多いと思う。 ここで、本来の著作者(多くの場合個人)の利益と、実際に著作権を預かっている出版社など(会社だったり団体)の利益は微妙に違うのだ。

言いたいこと、思っていることは、まだまだこれでは書ききれないのだが、著作者の権利を侵害するつもりはないし、尊重したいと考えている。 ところが、法律を完璧に守ること、著作権を預かる出版社の言い分を受け入れること、に関してはなかなか無条件に首をたてにふりにくいものがある。 著作権法を守れば、著作者の権利を尊重することにつながるか、というと、そうはいえないと思うからだ。 まぁ、法を守っていれば侵害することはないだろうが…。 ここがジレンマ。

それに、著作権法って結構グレーな部分が多い法律だ。 それは逃げ道を残してくれている、と好意的に考えることにしよう。

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