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今月、Cinefil Imagicaで放映中。 先日、豪雨(雷)で受信できず観損ねてしまったものだ。 見終わった後、これはいったい何を描きたかったのか、と考えてしまった。 父の子に対する愛というものにかなりのウェイトを置いているような気がする。 ところが、これは原作にはない話だというのだから白けてしまった。 家族間とか、父子愛だとか、そういった要素を盛り込むのは、近年の米映画の特徴ではないかと思ってしまう。 そんな根も葉もない事実を詰め込んだばっかりに、この映画は焦点のぼやけたものになってしまったのではないだろうか。 とはいえ、山登りのシーン、秘境であるチベットの宮殿のシーン、見所はある。 中国という国があまりのも悪く描かれているのは少々気になるが、チベットという国に興味をもつきっかけになることは間違いない。 一方、夜のシーンは明らかにセットで安っぽいというのは興ざめ。 野宿中、夜盗に襲われるシーンや、夜襲のシーンなどはストーリー的に要だと思うのだが、映像が安っぽいので印象に残らない。 音楽はジョン・ウィリアムズなのだが、夜襲のシーンの音楽はあまりに西洋的でちょっといただけない。 少なくとも私は違和感を感じた。 主演のブラッド・ピットはかっこよく撮れていると思う。 でもただそれだけ。 デヴィッド・シューリスが出ているというので、今回、初めてこの映画を観たのだが、シューリスの役は中途半端でちょっと期待はずれ。 若き日のダライ・ラマを演じていた少年が好演なのが、むしろ印象に残る。 少年らしい無邪気さや好奇心、一方でダライ・ラマとしてチベットの国の頂点に立つ難しい役割を淡々とそつなくこなすその様。 もう一人、印象が強いのが、秘書官から大臣まで出世したンガワン・ジグメ。 しかし、彼を悪役の裏切り者と単純に見てしまっていいのかどうかすっきりしない。 中国という国を一番身近に感じていたからこそ、あのような選択をした、とも言えないだろうか? チベットは兵力で劣っていたのは明らかだったのだから。 モデルとなる人物はいるようだが、映画のみでの登場人物である。 ハラーの原作にはモデルらしき人物は出てこない。 それなればいっそのこと、悪役なのかそうでないのか、もっと明快に描いても良かったのではないだろうか。 B.D.ウォンが好演していただけに、曖昧さの残るンガワンの描き方に疑問を感じた。 映画としては大したことはないのだが、映画にでもならなければ、どちらかというと紀行記といえる原作は多くの人の目に触れることはおそらくない。 映画は、きっかけを与える役割はしているだろう。 ナチスと、チベットを侵略した中国はダブって見える。 が、ダブっているのは中国だけだろうか? それにしても、原作を切り刻んでドラマチックに再構成してしまうのはアメリカ映画の得意とするところか。 PR |
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