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1941年のアレクサンダー・コルダ監督の英作品。でも、米国で撮られている。 ヴィヴィアン・リー、ローレンス・オリビエ出演。 1939年に製作された「風と共に去りぬ」から比べると見劣りしてしまうが、 当時としては、かなり力の入った作品だったのだろう。 時はまだテレビ時代の前。 大河ドラマなみには力が入っている。 ちなみに、第14回(1941年度)アカデミー賞の音響賞を受賞したほか、 美術監督装置賞(白黒)、撮影賞(白黒)、特殊効果賞にもノミネートされた。 映画の終盤、オリビエ扮するネルソン提督が命を落とすことになった海戦のシーンを、 ストーリーの味付け以上に長く時間をとっているのは、当時としての特撮に力の入っていた証拠だろう。 今ではクラシック映画ファンしか見ないような作品になってしまったようだが、 もっと登場人物の心情を丁寧に見せる、役者の演技に頼るような作品に仕上げていれば、 また違った評価が残ったようにも思う。 当時としては、これがエンターテイメントだったのだろうと想像するが…。 ヴィヴィアン・リーは主役のハミルトン夫人を演じている。 映画の中のエマ・ハミルトンとネルソンをなぞらえたかのような恋愛経験を経て、 ヴィヴィアンとオリビエが晴れて夫婦となることができた頃の共演作品。 そして、これは実際にあった出来事をストーリーとした作品でもある。 もちろん脚色はされている。 ネルソン提督は実際には、かなり小柄で冴えない風貌(右目に右手を失っていれば当時としてはそうだろう…)だったようだが、ローレンス・オリビエが演じれば、片目でも片手でもかっこいい。 ハミルトン夫人は、その美貌故、結婚により英国の階級社会の階級の壁を越えてしまう女性。 肖像画が残っているが、美人というよりかわいらしい感じで、丸顔。 同じ美人でも、面長のビビアン・リーとは雰囲気が違う。 映画にあるように、ナポリの王妃の信頼を得て親しくつきあっていたのは事実のようで、ただ美人なだけでなく、頭の良い女性で、努力もしたのだろうと想像できる。 身分の低いエマを妻に迎える Sir. ハミルトン。この人が一番謎。 エマは、もともと Sir. ハミルトンの甥の愛人だった。 エマが Sir. ハミルトンの元へ送られた理由についてはいろいろ言われている。 その甥が自分の結婚を考えるうえで愛人エマが邪魔になったとか、 借金のカタにされたとか、甥が Sir. ハミルトン の遺産を狙って再婚しないように愛人エマを送ったとか、 今となっては真実はわからないが、いずれにしても、上流階級の御都合主義である。 遺産狙いで Sir. ハミルトン が再婚しないための愛人だったとしたら、 そのエマと結婚してしまうのだから、甥としてふはんだりけったりだっただろう。 (とはいえ、映画のように、エマが辞退したのかどうかは定かではないが、遺産は結局その甥が相続した。) 映画では、エマ(とその母親)は、上流階級の男性との結婚によりステップアップすることを夢見ているが、実際にそんな野望を持っていたかどうかはわからない。 英国の階級社会というのはそんなに甘くないはずだ。(しかも18世紀) Sir. ハミルトン が何を考えたのかはわからない。 映画の中のセリフにあるように、妻も自分の美術収集品の一つと同じレベルだったのかもしれないし、ただ魔がさしただけかもしれない。 妻という形でなければ、エマをつなぎとめておけなかったとは思えないのだが、Sir. ハミルトンは、身分の低い小娘と再婚し、小娘は Lady Hamilton としてナポリの社交界に出入りするようになる。 その御、ネルソン提督に出会い、お互い配偶者を持つ身の上でありながら恋に落ちる。 Sir. ハミルトンが、この二人の仲を黙認していた風であるところがまた不可解である。 Sir. ハミルトンが、その気になれば、エマとネルソンの間を引き裂くことなどそう難しくはなかったと思うのだが、騒ぎ立てるには歳が離れすぎていたということか…。 一方、エマとネルソンが惹かれあったのは何故だろう。 ネルソンがエマに惹かれるのはわかるような気がする。 エマは美人で頭が良い。 脚色がかなり入っていると思うが、映画では、エマは機転をきかしてネルソンに助力する。 ネルソンの妻はいることはいるが、形ばかりで長いこと会ってもいない。 そんなときにエマのような女性に会ったら…。 当然の展開といえるのではないだろうか。 では、エマはネルソンに惹かれたのは何故か。 史実の上でのネルソンは決して魅力的な風貌ではない。 親子ほども離れているエマの夫に比べれば歳が近いというだけ。 ナポリの社交界にはいくらでも、エマにとって魅力的な男性がいたように思うのだが、なぜネルソンだったのか。 これも真実はわからないし、人を好きになるには理由などいらないが、 そこをあえて邪推してみれば、身分だったのかもしれない…。 エマは Lady Hamilton となり、ナポリの宮廷にまで出入りできるようになったいわば下克上娘。 ネルソンも出自は低い。小さな教区の牧師の息子だ。 海軍での働きにより出世した。 エマとは通じるものがあったのかもしれない。 映画では、ローレンス・オリビエがかっこよくネルソンを演じている。 脚色もされているに違いないが、二人が惹かれあって行く様子は無理なく描けていると思う。 納得はできるが見る側が共感するところまで描きこんでいないところがこの映画の弱いところかもしれない。 だから、美しい絵巻物を見ているようには楽しめるが、それ以上のものはない。 映画史上にも残る有名なセリフ「2世紀に渡るキスをした」というのも絵空事のようにしか聞こえない。 それでも、娯楽映画なのだから、絵空事でもまったくかまわない。 昔の映画で良いと思うのは、幕切れが鮮やかなこと。 映画の製作にはたくさんの人が関わっているにもかかわらず、その人たちすべての名前がクレジットロールとして流れないのは、それはそれで残念なことではあるのだが、「End」とか「Fin.」と中央に出てそれでおしまい、というのはむしろ強烈な印象を残す。 この「美女ありき」では、ラストシーンは再び、冒頭の場面に戻る。 ネルソンの死後は、生きる屍のようになってすっかり老け込んでしまったエマが美しかった頃を思い出して語るという構成なのだ。 エマは Sir. ハミルトンの遺産を受け取れなかった。映画では自らの意志で受け取らなかったことになっているが、何が本当かはわからない。 そんなエマにネルソンは遺産を残そうとしたらしい。 が、これもエマは受け取れない。 結局、借金をかかえて貧窮し、なぜか、フランスのカルーに渡るのだが、その辺のいきさつも映画ではいっさい語られない。 ネルソンの死でエマの美しかった時代は終わる。 そして残酷にも、映像は昔の面影をほとんど残さないエマを映し出す。 この老けメークをしたビビアン・リーは度胸が良い、と思うが、映画として非常に効果的である。 美しかった絵巻がよけいに引き立つ。 PR |
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