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去年の公演のテーマはデビューアルバムの「新創世紀」だった。 今年はセカンドアルバムの「DEAD END」がテーマ。 「DEAD END」というLP ... 敢えてLPと言おう... は、おそらく私が最も針を落としたレコードに違いない。 A面に針を落とす、A面が終る、盤をひっくり返す、B面 … この一連の操作込みで「DEAD END」だ。 ストーリーは自分の中にある。 なので、新たな脚本は間違えればノイズにしかならない。 しかし、批判するために劇場に足を運ぶのではない。 出てきたものを大らかに受け止め楽しみたい。 去年はホーン・セクションが厚かったが、今年は弦。 確かに「DEAD END」にはストリングスの美しい曲が収録されている。 レコーディングではシンセだったストリングスの音が、生の弦の音で聴けるわけだ。 これは嬉しいかもしれない。 ...と思いたいのだが、やはりコーラス隊とクラシカルな弦楽器とエレキな楽器のバランスが悪い。 これは、ホールの宿命か...。 そもそも、クラシカルな楽器とエレキな楽器を共存させてうまく鳴らすことのできるホールなんてあるのか? 楽しむ為には脳内変換して補うしかない。 「DEAD END」は Godiego のアルバム中、最もロックしている、そしてロック・バンドらしいアルバムだろう。 そのロックな面が大好きだったのだ、ということを改めて思い知らされた。 でもこの公演はロック100%というわけではない。 これはこれでいいのだ。 だが、純粋にロックしている Godiego、バンドしている Godiego も別に機会で良いから聴きたい!というのが第一印象。 そして、コンサートには A面、B面がないんだ...というのが第二の発見。 そこには、まるっきり新しい世界が広がっていたわけ。 それを意図して企画され、観客もそれを望んでやってきているのが、クラシックのホール芸術劇場で演るPOPSコンサートなのだから当然のこと。 目の前で繰り広げ、繰り出される音を聴きつつ、心はLPというレコードで「DEAD END」を聴いたあの頃に飛んで行ったり来たり。 やっぱりスティーブの低音ボーカルは重要。 「DEAD END」がかなりハードな内容をもつハードなアルバムでありながら決してヘビーにならないのは、タケのソフトなボーカルと浅野氏のギターの音色の果たす役割は大きい。 この5人でないと絶対出ないサウンドがある。 まさにその通り。 だからバンドって不思議。 今回パーカッションとしてゲストが入っていた。 ろくに予習をしていなかったので、このパーカッショニストが誰か最後の紹介の時まで知らなかった。 それにしても、凄すぎる! 何者!? .... 斎藤ノブさんでした。 名前を聞いて納得。 なんで気付かなかったんでしょ? Godiego とは過去にも縁のある方。 ちょっと考えればわかったはずなのに...。 Godiego とトップクラスのミュージシャンの共演、そんな贅沢を味わえるのが芸術劇場の公演の良さ。 PR |
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