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アカデミー賞受賞なんていうハクが付いてしまったので、大作かと思われてしまうのが、この作品の不幸だと思う。 シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」そして「十二夜」に続く巧妙なパロディだからだ。 歴史モノのコスチューム・プレイというだけで、映画の作りとしては大げさになってしまいがち。 しかも、扱うのはシェイクスピアという古典(クラシック)。 クラシックとなると格調高く敷居が高い感じ。 …というのは、実は間違い。 シェイクスピアの戯曲だって、最初は庶民的な娯楽だったのだ。 エリザベス一世の治世というと、英国が発展した時代ではあるが、当時の英国はまだまだ小さい国。 エリザベス一世が治める世界はかなり小さく、エリザベス女王は女王とはいえ、 庶民にとって雲の上の人、というほど天上人ではなかったはず。 だから、この映画も庶民的なノリで軽く楽しむパロディだと思えばいいのだ。 ヴァイオラの男装は男に見えない、とか、あんな簡単に恋に落ちていいのか、とかそんな細かなことを考えては駄目だろう。すべて作り話なのだから。 だいたい、役者トマス・ケントを追っていったはずなのに、行った先でヴァイオラに会って恋に落ちる… 観ている方は、トマス・ケント=ヴァイオラだと知っているからなんとなくごまかされてしまうが、その時のシェイクスピアは二人が同一人物だとは知らない。 そんな簡単に一目惚れしていいのか? ヴァイオラはシェイクスピアのファンで劇場にしばしば通っていたわけだから、 一目見て恋に落ちるくらいの美女(シェイクスピアにとって)ならば、もっと早く見初めていてもいいのではないか…とかいろいろ突っ込みどころはある。 でも、それを気にしていたらこの映画は楽しめない。 ハッピー・エンドではないのだが、全てお見通しのエリザベス女王は、 女が舞台に上がったことを簡単に許してしまう。 女王の立場で、そんな簡単に例外を認めてしまっていいのか、とも思うが、 その辺は「男の仕事をする女もいる」の女王の言葉に集約されている。
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