「一太郎」の販売中止の判決が出た。
「一太郎」といえば、今ではどうだかよく知らないが、NECのPC-9800シリーズ時代に一世を風靡した。
バージョンが3の頃、使ったことがある。
それっていったいいつだ?(笑)
時代はPC-9800シリーズからWindowsに移り、もう「一太郎」の時代でもないだろうとも思うのだが、実はまだまだ使われているらしい。
ATOKは優秀だし(しかし私は慣れなかった)、そのATOKとの相性を考えると「一太郎」というのもアリなのかもしれない。
仮執行宣言というものが見送られているので、すぐに販売停止にはならないそうだ。
判決では在庫の廃棄も求められているようだが、既にユーザの手に渡ってしまっているソフトについては使い続けてかまわないとのこと。
さらに控訴した場合は判決は確定しないので、駆け込みで買うならまだ間に合う。
近々新バージョンが出るのだが、ひょっとしてこれはそれを買わせるための策略?と疑いたくもなる。
いや、それは言い過ぎか?
いずれにせよ、この判決は衝撃だ。
特許というのは、わけのわかったようなわからないような言葉で書かれている。
問題の特許は「装置」つまりワープロという装置を想定して書かれたそうだ。
しかし、それはパソコン+ソフトでワープロになっても適応されるらしい。
この特許ありき、ということであれば、「一太郎」が特許を侵害していると言われても仕方がないと思う。
特許で述べられている「アイコン」という言葉が何を示すかについても若干問題があるようだ。
狭義の意味にとれば、「一太郎」で利用しているのは「ボタン」であって「アイコン」ではないのかもしれないが、広義の意味にとれば「アイコン」の一種と言われても仕方がない。
面白いのは、「?」の文字と絵(イラスト)を組み合わせていると「アイコン」で「?」の文字だけならば「アイコン」にならないのだそうだ。
つまり、ソフトをちょっと修正すれば特許を侵害していないものになってしまう。
そこで、次の疑問が出てくる。
「その程度のもので『特許』になるのか?」
今回の問題はそこかもしれない。
一般人の反応としては「そんなのが『発明』と認められて『特許』になるの?」というところだろう。
しかも、ソフトのUI(ユーザ・インターフェース)に関わる部分だ。
特許で独占するものではなく、ユーザの利便性向上のために、統一ガイドラインとして公開すべき、と思いたくなる。
しかし、それは一般ユーザの心理であって、大企業の理屈ではない。
最近の大企業の方向性は、どんな小さなことでも知的財産権を確保して、それを素に小銭を稼ごう、優位性を保とう、既得権を主張しようというものだ。
その方向性が間違っているとは言わないが、本当にいつもそのやり方でいいのだろうか。
過去、世の中の発展のために特許をとらず、あるいは特許権を得ていてもそれを行使せず、技術を解放してきた例がある。
一方で、そんな気はサラサラなく、目を皿のようにして特許侵害を探している。
それが企業の戦略として正しい方向性だと認識されているのが現状だ。
もっと言うと、知的財産権の保護による恩恵が個人に還元されているかというと甚だ疑問だ。
知的財産権は個人のためでなく、大企業のためにあるような気がしてならない。
何か間違っているような気がする。
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