一眼レフ・ユーザとして、写真を撮りづらくなってきている昨今...。
フィルムカメラの時代は、どんなに頑張ってもフィルムの大きさよりカメラは小さくならなかった。
デジカメ時代、カメラはどんどんコンパクトになる。
一眼レフはデジタルになっても、フィルム時代のレンズという遺産を引き摺っている限り、本体の小型化には限界がある。
いや、道具として使うことを考えた時に、これ以上、小さくはならないだろうという大きさがある。
とにかく、一眼レフ・カメラを持っていると必要以上に目立つのだ。
携帯電話にカメラがついている時代、わざわざ重たくて大きいカメラを持っているなんて、よほどの物好きか何かに見えるらしい。
別の側面から考えてみる。
携帯電話にカメラがついたことによって、シャッターを押される機会というのは格段に増えたに違いない。
割合はどうだかわからないが、裾野が広がったことに寄って撮影マナーの悪いユーザも増え、目立つようになったということ。
写真撮影という行為に対して風当たりが強くなった。
撮影マナーに関して、私は私なりの考えで可能な限り注意を払ってきたつもりだが、他人にはその人の尺度がある。
マナー的にみて可/不可の境目は時にして曖昧で難しい。
いろいろあって、ちょっとブルーになっていた。
そんな時いただいたお言葉「認められる写真を撮ればいい」。
私はプロではないのだが、写真を撮りたい、という欲求を満たす為に必要になっていくことなのかもしれない。
幸い、私の写真を好きだ、と言って下さる方がいる。
嬉しいことであり、ありがたいことだ。
必要があって、そして、改善された環境に助けられて、ここ一年くらいに撮った写真を眺め返していた。
どの写真にもキラキラした時間が閉じ込められていた。
シャッターを押した時の私の状態(気持ち)は、必ずしも、ピュアでクリアでキラキラしていたわけではないと思っていた。
でもそこにあったのは、ピュアでクリアな世界。
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