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私にとって「写真を撮る」ことはその一瞬を切り取る、ということ。
自分が感じた楽しさだとか、感動とか、そんな思いをできるだけ一枚の絵に取り込みたい。
たとえピントがぼけてしまった写真でも、アングルが滅茶苦茶な写真でも、そこから楽しさとか何かを感じることができれば、そんな風に撮れた写真は、自分の作品としてカワイイ。
だから、トリミングしたりレタッチしたりして欠点をカバーしてあげたくなる。
シャッターチャンスだけはレタッチではカバーできない。


見た目のありのままを伝える写真だったらば、レタッチつまり修正はご法度なのかもしれない。
でも私が撮りたいのは違う。
ライブだったら、音が聴こえてきそうな写真、
笑い声が聞こえてきそうな写真、
被写体の動きが伝わってくるような写真、
その場の雰囲気が伝わる写真、
…そんな写真を撮りたい。
だから“絵”としてダメな部分はレタッチする。


撮影者として自分が撮って気に入っている写真を、被写体の方にも気に入っていただけると非常に嬉しい。
しかし、必ずしもそうぴったり一致するわけではなくて、撮影者としてはこっちが気に入っているのに、そっちの方がより気に入ってもらえたか…なんていうこともある。


自己満足的な限りなく趣味な写真撮りではあるが、第三者の方にお褒めの言葉などいただくとやっぱり嬉しい。

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富士写真フィルム、コダックは銀塩継続なんてアメのような発表があった。
「銀塩は保存性・低廉な価格・取扱いの手軽さと現像プリントインフラが整備されている点などでデジタルに勝る優位さもあり、写真の原点とも言える」と言いながら、次はこれだ。


富士写真フィルム5000人削減、銀塩リストラだって。
デジタル・銀塩カメラやフィルムを担当する「イメージングソリューション」部門は市場環境が悪化しており、今後もさらに悪化が見込まれるのだそうだ。
まさにムチですな。
予想の範疇、「今」風に言えば“想定内”なので別に今更って感じ。
銀塩がなくなるとは思ってはいないが、低廉な価格・現像プリントインフラが整備というのはいつまで続くのやら…。

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私はモノを捨てるのが苦手だ。
例えば、包装紙だって綺麗なものはとっておく。
そもそも、ベリッと包装を破いたりはしない。
再利用できるように、綺麗に丁寧に包装紙を剥がさないと気がすまない。
ちらしだって裏が白ければ取って置く。
とはいえ、そういったいつ使うかわからないものは消費するより溜まっていくスピードの方が早かったりする。
そんな具合だからモノが増えていく一方だ。


おまけに、図書室のような家に住みたいと思っていたりするからタチが悪いかもしれない。
本に囲まれて過ごす…いいなぁ…。
で、本だけならともかく、CDもその調子で増えていく。
DVDも…。
そういえば、ほとんど弾かない(弾けない)くせに楽譜も増えていく一方だったりして…。



話かわって、デジカメ写真を取り込むときに、カメラとパソコンを直結するのではなく、カードリーダーを使っているのだが、調子がよろしくない。
カードを認識してくれないことが多々あるのだ。
再起動を繰り返した挙句やっと認識してくれることも少なくない。
カードリーダーなんて決して高くないものなのだが、悔しい。
こんなことならば買わなければ良かった。
ところが、カメラとパソコンをつなぐケーブルが行方不明。
毎回、キィ〜!となりながらカードリーダーを使っていた。


行方不明だったケーブルが、片付けるのをサボっていた山から発見された。
なんでこんな紙類の束と一緒に?という気がしたが、さもありなん…(苦笑)。


しかし、カメラとパソコンを直結させてもうまく認識してくれないことがあったような…。
1Gの大容量高速コンパクトフラッシュという点に問題があるのだろーか。
iPhoto もバージョンアップしたことだし、お願いしますよ>Mac様。

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iPhoto 6までの道は遠かった(笑)。


iPhoto 5 が落ちて使えない(きっかけがないとなかなかバージョンアップできなかったりするものである。)
→ iLife をバージョンアップする。(なんで30分もかかるんだ!)
→ 既存ライブラリのバックアップをする。(これについてはわかっていたけど2時間…くぅ〜)
→ ライブラリの変換。iPhoto 5 の時に落ちまくっていたせいか、ライブラリに登録されていないがライブラリ・フォルダ内に存在するファイルがたくさん。それらを救済していたので余計に時間がかかったような気がする。
→ 救済したファイルを一部選別。(とても全部チェックする気にはなれない。)
→ 早速、一番新しい写真をチェック。(撮ったうち2/3を捨てる...メゲッ)


とにかく軽くてサクサク動くので感動。
実は、今まで使ってきた iPod Server 用のとは別の Mac にインストールしたので厳密な意味で比較はできないが、とにかく軽快。
エフェクトの種類が増えた編集機能も面白そう。
真面目に編集するのだったら Photoshop にデータを渡せば良いのだろうが、Element でさえ至れり尽くせり多機能すぎるくらいなので、ちょっとした編集は iPhoto 上でやってしまいたい。
なんといったって撮る枚数が半端ではないのだから、一枚一枚に手をかけられる時間は自ずと少なくなる。
そういうユーザにとっては iPhoto の編集機能が充実するのはありがたい。
新機能のカレンダーやカード作成も面白そう。
これは後日ゆっくり試してみることにしよう。


さて、iPhoto 5 まで重宝していたWeb書き出しがなくなった。「共有」→「ファイル」にメニュー上お引越し。
iPhoto 2 の頃は「ファイル」メニューにあったのだが変更されてしばらく戸惑った。
替わって「共有」メニューに加わったのが iWeb への書き出し。これは一長一短だなぁ…。
テキストエディタでHTMLソースを書く派の私にとって、iWeb のようなソフトは微妙なのだ。
どうせ修正するのだから、iPhoto が書き出すソースが欲しいのだが、iWeb →フォルダに書き出し、という手順をふまなければならない。
ちょっと面倒。とりあえず用意されたフォーマットを使ってしまうのは簡単だが、これでは誰が作っても同じようなページになってしまうのもちょっと悔しい。
結局、メニュー位置の変更に再び戸惑いつつ、Web書き出しを使うだろう。

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Minolta のカメラの価格が大暴落。
α Sweet Degital が突如品薄の気配らしい。
やっぱりいっとくしかないでしょ?


Sad だった iPodをやっと修理依頼した。
iPod は福山通運経由で引き取られて行った。
ドナドナ〜じゃない!(笑) 日曜日でも取りに来てくれるのね。助かった。
早く“帰って”くるといいなぁ…。


昨日撮った大量の写真(ざっと200〜300枚)を iPhoto に取り込もうとした。
何回やっても最後の最後で iPhoto が落ちる。
きぃ〜!
こんなときはバージョンアップ。
私には iLife '06 があるさ…
ふっふっふっ。
最後に撮った写真を取り込んでから iPhoto をバージョンアップするつもりだったが、こうなったら先にバージョンアップしてみよう。
インストールで30分もかかるのかい!


iLife '06 フルインストールで約30分経過


現 iPhoto Library をコピー。
つまりバックアップ。
バージョンアップの途中で何があるかわからないから念のため。
2時間もかかるのかい!
たくさん写真があるんだなぁ…と改めてシミジミ。
(しみじみすることではない。)


iPhoto Library コピーで約2時間経過


iPhoto 6 を起動。ドキドキ(ワクワク)。


iPhoto Library 変換中 … 写真多いので数分で済むわけがない。予想通り

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数日前のこと、退社しようとエレベータ待ちをしている時に、腕時計をしていないことに気が付いた。
出社するとすぐに腕時計を外してしまう癖があり、たまに自席の机の上に忘れたまま帰宅してしまう。
忘れるくらいなら腕時計をしなくても不自由しないだろうと、腕時計のない生活をしていた時期もあった。
電話を見れば時刻もわかるし、街の中には時計があふれている。
一分一秒を争うような状況でなければ、さほど不自由しないものだ。
裏を返せば、腕時計をしないことにより、一分一秒にこだわらなくなる。
ルーズになるというのとは意味が違う、念のため。


とはいえ、そうも言っていられないケースもあるのだ。
日頃、腕時計をしていないと、肝心なときにも忘れてしまう。
これは癖にしないといけない、と考え、最近は腕時計をするようにしている。
(せっかく入れた電池ももったいないし)


自席に戻るが、外して置きっぱなしにしているはずの腕時計はない。
…朝から忘れていたか…?
それすらも記憶にない。
ちっとも癖になっていない(爆)


いつの間にか外してしまった腕時計がポケットから発掘されたこともある。
習慣への道は遠い。
本音は時間に追われない生活をしたいのだが…。

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今日はモーツァルトの生誕250周年。
私としたことが、まだこの映画を取り上げていなかったとは!



凄い、面白い、素晴らしい…。
もし観ていない人がいらっしゃるならば、とにかく一度は観ることを強くオススメする。


今更解説するまでもないことだが、サリエリの告白によりモーツァルトの後半生を描いている。
モーツァルトはその名前と音楽を知らない人がいないであろう有名な音楽家。
クラシックは聴かない…という人でもどこかでモーツァルトの音楽を耳にしているはずだ。
…が、サリエリとなると、クラシックファンでない限り、その名前を知らなかったり、せいぜいモーツァルトと同時代の音楽家である、という程度しか知らないのではないだろうか。
サリエリ作の音楽…私もほとんど聴いたことがない。
けれども当時はむしろ逆だったようだ。
サリエリは宮廷音楽家として皇帝に仕え、不自由なく暮らしていた。
一方、モーツァルトは、天才児としての名声は得たが、晩年は悲惨だったというのは有名な話。


晩年、経済的に困窮していたことも関係して、モーツァルトの死については謎が多く、今となっては真相は闇の中だ。

映画「アマデウス」では、サリエリが殺意を抱き、最終的には過労に拍車をかけ死に至らしめたようなストーリーになっている。
サリエリのモーツァルト毒殺説というのは、モーツァルトの死後、サリエリの存命中に既にウィーンで噂になったことだそうだ。
耄碌したサリエリがそのように口走ったという噂もあるのですが、この説については、サリエリ自身も否定したそうだし、噂に過ぎず、あり得ることではない、というのが現在の通説。
…というわけで、映画「アマデウス」は、フィクションだらけのストーリーで、史実とは大きく違うということを一応認識していた方がいい。
昔の話だし、あまりにもドラマチックな展開だから、これがすべて本当のことだと思う方が勘違いも甚だしいと言えるが…念のため


サリエリ(1750-1825)は当時としてはかなり長寿で、晩年は、老衰のため、ウィーンの病院で過ごしたようだ。(映画のように、自殺未遂で運ばれたというわけではない。)
映画は、サリエリの告白、というスタイルをとっているから、サリエリが本当のことだけをしゃべったとは言い切れないわけで、半分モウロクであることないことを話したストーリーと解釈できる。
この映画のうまいところは、フィクションでありながら、史実をうまく織り混ぜている所。
その微妙なさじ加減で、フィクションでありながら、リアリティを感じさせる。
そして、モーツァルトとサリエリを描きながらも、ドラマは、天才と不幸にして天才を理解する能力だけ備わってしまった凡庸人を描いていく。
映画の下敷となったドラマ(戯曲)がそのようなテーマを持ったものだったようだ。
サリエリの気持が手に取るように描かれているのが、この映画の魅力となっている。
モーツァルトを憎みつつも、その音楽を誰よりも愛していたのがサリエリ。
疲労困憊して倒れたモーツァルトに、中途になったままのレイクエムの作曲を続けるよう手伝うのも、自分の愛するモーツァルトの音楽を誰よりも早く知りたい、という、純粋な音楽への愛情故。
憎しみが激しく殺意を抱くほどであったとしても、結局は、モーツァルトが美しい音楽を創造し続けて行く限り、サリエリにはモーツァルトを殺せるわけがない。
そんなサリエリの心情が丁寧に描かれている。

この映画で、サリエリという人物が誤解される、と危惧しているクラシックファンの方もいらっしゃるようだが、実際に映画を見たら、そんなことはないのではないかと思う。
(映画の筋だけ聞いて誤解する人はいるかもしれないが。)


実際、サリエリは指揮者としてモーツァルトの音楽を演奏する機会があったようだ。
(好んで選んだのか、職位上、必要だったのかはわからない…)


天才は、実生活面でも、紳士あるいは聖人だったかのように思われがちで、この映画によって、モーツァルトの下品な面を見せたことに対する批判もあるようだ。
公衆の面前で横柄で下品な態度をとったかどうかは定かではないが、身内に対する書簡には下品な言葉使いをしたものが残っているのは有名な事実。
歴史上、偉業を成し遂げた人物を、美談ばかりで飾る時代でもないし、サリエリの嫉妬が際だつという意味で面白かったと思う。


映画のサリエリが愛するモーツァルトの音楽が、実に効果的に使われているのもこの映画の大きな魅力だ。
このサントラとしての使い方はウマイ、見事としかいいようがない。
エンディングロールのバックに流れる音楽までが映画の一部として溶けこんでいる。

残念ながら、この作品を映画館で観たことがないのだが、エンディングロールになってもなかなか席を立てないのではないだろうか。
テレビやDVD(LD)で観ても、最後の最後までモーツァルトの音楽を聴いて余韻に浸りたい、と思わせる。

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